方円日録

リーグ戦

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大ヨセ

 年末にヨセに関してツイートしたのだが、ヨセは難しい。勉強法も難しい。

・ヨセの手筋
・目算の方法

 ヨセの本というのはだいたい上の二つについて書いてあるのだが、これは「点」の解説に過ぎない。ヨセの難しさは総合的な思考にあって、一つ一つの細かい「点」的思考を組み合わせて「線」にし「面」にしていくのだが、それが大変。一つひとつことはわりと単純でも沢山の積み重ねになると作業が膨大だし、面倒だし、難しい。
 よい勉強法はあるのだが、実践が難しい。

 年末にちょっと前の竜星戦をみていた。本木七段(白)と湯川九段の1局。
 今黒が黒99とハネて中央の味を見ながら右辺をまとめに来ている。右辺は裾空きだけど、まとまればそれなりに大きそうだ。私が白なら慌ててしまいそうだ。
17010201.jpg
 この後の本木七段の終息は見事で感心した。(プロなら当たり前なのかな)正月でちょっと時間があったのでこの後の手順の鑑賞用プリントを作ってみた。(一部生徒に配布予定)自分も含めて落ち着いて正確にヨセられるようになるといいのだが。

 この碁の手順はネットで見られるので興味のある人はこちらをどうぞ。

摂理

 私は、囲碁の世界(盤上)には摂理があると思っています。もちろんそれを完全に理解することは人知には難しいでしょうが、繰り返しプレイしているとその一端を感じることは割と簡単にできて、そこが囲碁の魅力の一つだと思います。囲碁プレイヤーは、囲碁を通してものごとの道理のようなもを感じ、それを身近な何か(生活、仕事、学問など)にフィードバックして身につまされるというような体験をしているはずです。

 近年囲碁を教えていて思うのは、上達に関して、盤上が道理に支配された世界であるということをしっかり理解しているかどうかが大きいということです。そういう見方をしていないでプレイしている人は意外に多いです。あるいは理解はしているけど、実際の着手の際にはそんなことどこかに行ってしまうという場合が信じられないほど多いのです。

 例えば囲碁を打っていて「この石が弱そうだから取りたい」と思うことはよくあるわけですが、考えてみればこれはおかしなことです。問題は対象となる石の強さで、一手水準以上弱ければ取れるのでしょうし、ある程度の強度が残っているならば取れないというだけです。取りたいという願望は、基本的には死活に全く影響を与えないばかりか、判断を誤らせる可能性さえあります。

 「取れそうだ、取りたいな」と感じて、それに飛びついてしまうのは未熟なプレイヤーで、経験のある(実力のある)打ち手は、実際に取り掛けに行った図を作りながら実現可能性を探ります。取りたいという自分の願望(だけ)でプレイするのと、現状をできるだけ正しく把握した上で行動しようするところで差ができます。また読みを入れたとしても、ついつい自分に都合の良い勝手読みをしてしまうか、正しく読めるかで差が出てきます。プロ棋士でもつい安易になって読み抜けることはあるわけで、自分の願望に流されず、盤上を正しく把握し理解することはとても難しいですが、盤上を理解しようという意志が何より上達する上で大事だと思います。

 もっとも「盤上を正しく理解する」というのは人間には難しすぎて、実行を心がけてもあまりうまく行かないことが多いです。心がけたところで負けることもあります。プロでも困難なのだから、ましてやアマには至難の業です。
 また、自分の願望に忠実に(?)打ちたいように打っても、勝てることもあるし、囲碁はそれで十分に楽しいゲームです。
 まずは囲碁を楽しむことが大事なので、あまり難しく考えないのがよいのでしょうが、個人的には盤上の摂理を追及することが上達への近道だし、より囲碁の奥深さに触れられる意味で有意義だと思います。そのことをうまく伝えたいですが、なかなかうまく行きません。

新年のご挨拶

 あけましておめでとうございます。

 最近はすっかりブログ更新の意欲もなくなってしまいましたが、今年は少しずつ投稿もしていこうかと思います。昨年から静岡大学で囲碁授業が始まったのですが、その関係で休みがあまりなくなってしまって余裕がなかったというのもあります。

 Twitterではまとまりのないことを呟いているので、それをこちらで少しまとめられればと思います。

 今年もよろしくお願いします。

 

復習ノート 2016年6月21日

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